
大阪図書館(現 大阪府立中之島図書館)
本館(中央棟・1号書庫)
<竣工年>明治37年(1904)
<設計>野口孫市 日高胖
本館両翼
<竣工年>大正11年(1922)
<設計>日高胖 長谷部鋭吉、光安梶之助、森正蔵 他
3号書庫
<竣工年>昭和2年(1927)
<設計>住友工作部?
近世屈指の豪商にして近代大阪最大の財閥、住友財閥15代家長・住友吉左衞門友純が大阪府に寄贈した新古典主義様式の壮麗な図書館。竣工年は東京の帝国図書館(1906)より古く1904年。
<建築様式‐ドームとポルティコ>
中之島図書館の建築様式の起源は古代ローマの
ローマ・パンテオン(ad126年)に遡る。古代ローマ建築の特徴は古代ギリシャ建築の意匠を踏襲しながら、コンクリート工法やアーチ構造など革命的な工学技術を用いた壮大なスケールで巨大な建造物を建造したことある。ローマ・パンテオンは古代ローマ建築を代表する建造物で、前面ファサードはギリシャ人が創造したコリント式の
ポルティコ意匠。しかしポルティコに隠された後方にローマ人が発明した古代コンクリート工法が用いられた柱の無い巨大円形空間が広がるのである。この古代ローマが創造した建築工学技術及び様式は中世暗黒時代に退廃し忘却される。しかしルネッサンス期に復活し、その代表的なポルティコ+半円ドームの組み合わせはバロック、新古典主義と継承される。その例は
ローマ・サンピエトロ大聖堂(1626)以下、無数に建造された。中之島図書館に年代・記念碑性が近い、印象深い例としてはベルリンの
プロイセン王立博物館(1828)、あるいは
ヒトラーのゲルマニア人民宮殿がある。
<建築様式‐十字型平面と近代>
左右両翼、後部に3号書庫が増築されているので今日判りにくいのだが、中之島図書館本館竣工当初はドーム棟を中心に四方の棟が配された十字型平面を採用していた。この平面の起源になったと思われる
ギリシャ十字型平面の建造物は古代-中世の東ローマ帝国のビザンツ様式教会建築で見られたが多くは破壊、改築され現存例は少ない。西方のイタリアではルネサンス期に
ラテン十字に対するギリシャ十字型平面の「正確な調和」のフォルムが評価される。平面を十字架型に設計する宗教建築の枠から、世俗建築の世界へ飛び越えた初期の例は、ルネッサンス末期・マニエリスムを代表する建築アンドレーア・パッラーディオの邸宅建築、
ヴィラ・ロトンダ(1591)である。ここで四方の断面に古代ローマ風の玄関が取り付けられたのだ。以降ギリシャ十字型平面と古代意匠の組み合わせはキリスト教支配が次第に崩壊してゆく中、18世紀バロック建築、19世紀新古典主義建築の記念碑的建造物へ踏襲された。(
パリ・パンテオン(1790)の来歴がそれをよく示している)。
中之島図書館では奥の1号書庫棟が短く、もはやギリシャ十字型平面すら崩壊している。さらに重要なことには1号書庫棟が中央のドーム棟と直接連結していない。(建築好きの方であればカウンター越しに後方書庫を覗いたことのある方もおられるだろう)ドーム棟の正面大階段を強調するために、閉架式の書庫棟は壁の向こう側へと追放された。こうしてルネッサンス時代のギリシャ十字型平面の「正確な調和」のフォルム、ドームを中心とする集中式建築の理想もまた死滅したのである。後には変形し形骸化された歴史的表現と、機能的、記念碑的な構成が残った。
明治期の日本近代建築は一貫して大英帝国の記念碑的建造物の影響が濃厚である。全体として中之島図書館の直接的起源としては
テート・ブリテン(1897)のように世紀末ヴィクトリア朝に流行した、ネオバロック-新古典主義様式の巨大記念碑的建造物が最も近い位置にあるだろう。
<中之島図書館の特徴>
まず構造的には伝統的な木造寺院や町家、隣の中之島中央公会堂、果ては中之島の超高層ビルとも違い、壁式構造、煉瓦造・御影石張りである。先に挙げた建造物はいずれも木ないしは鉄筋コンクリートの柱と梁で構造体を支持するラーメン構造で壁式構造とは根本的に異なる。一方ロンドンやパリ、ブダペストなど欧州の大都市の建築の殆どは中之島図書館と同様石や煉瓦が構造体の壁式構造である。ただし耐震を考慮して壁の煉瓦同士がボルトで固定されているのは特筆すべきことだろう。鋼鉄ボルトと伝統的な煉瓦、最新の建築工学と偽りの歴史的様式装飾のファサードの組み合わせはこの時代の時代精神に適合している。
さらに興味深いのはこの当時としては極めて大規模かつ先進的な建築を、私企業が自社で養成した人材で、自社の資金で建造し、官庁へ寄付した点である。明治期の大規模建造物の殆どが国家建築で、それらは辰野金吾のような国家御用建築家が設計し、私企業もまた近代建築を建てる際御用建築家に依存していた。住友家は自社独自の設計集団を組織し、従業員の設計者、日高胖、長谷部鋭吉らをヨーロッパへ送り込み当地の建築を学ばせている。近代の大阪は国家官僚に対する市民(ブルジョワ)の富と文化の先進性、優越性が現れている点で他の日本の諸都市とは異なっていた。旧憲法下の開発独裁官僚国家の命令ではなくブルジョワ階級の利潤追求の手段として独自に近代化、工業化、資本主義化へ突き進んだ。こうした大阪の地域精神を具現化した点においても中之島図書館は記念碑的建造物なのである。

両翼が増築部分。増築は竣工年からしてその数年前に竣工した背後の巨大な中之島公会堂を意識した可能性は濃厚だろう。どちらも船場の近世豪商あがりの資本家の寄贈である。

圧倒的なポルティコ。

ブロンズ電灯の過剰な装飾もいかにも世紀末の記念碑的建造物の系譜を汲んでいる感じで素晴らしい。
その代表はもちろん
ブリュッセル最高裁判所(1883)とパリの
ガルニエオペラ座(1875)である。

この建物の優れた点の一つは基壇部が人間の背丈より高いところである。日本の大部分の建造物は寺院建築から近代・現代建築に至るまで基壇部が低すぎ、中国や欧米のお手本の迫力が台無しになっている。
湿気の多い気候から蔵書を守るのにも役立つ。

見事なシンメトリー。

細部意匠も完璧。

同上。

この住友の建築家集団の最終目的は中之島対岸の住友本店設計である。住友本店正面玄関の意匠は中之島図書館の意匠を踏襲している。

鉄格子のデザイン。

同上。

ルスティカ積みの御影石の厚みも素晴らしい。

中央棟と両翼との接続部分。

両翼。
しかし軒蛇腹の張り出しが尋常ではない。初期ルネサンス建築やナチ建築顔負けである。日本の近代様式建築の最高峰だろう。

同上。

同上。

余り注目されないが後部の3号書庫も昭和2年(1927)の近代建築である。

なんとなく竹腰健三っぽいデザインだと思うがいかがだろうか。

見事な中央大階段ホール。

身近な例を挙げれば映画「タイタニック」で忠実に再現された階段ホールと基本的な意匠構成は全く同じである。
新古典主義を最初の世界的様式とする見解は正しいのだろう。有史以来世界中の人類が無数の建築様式を生み出しだが、南極を除く全ての大陸で象徴的な建造物になりおおせているのは今のところ新古典主義様式のみである。

ローマ・パンテオンの血統をくむ半円ドーム。

同上。

設計に関わった日高胖、久保田小三郎は日本におけるアールヌーボーの先駆者としても知られている。
無論この様な新古典主義様式の記念碑的建造物と刹那的なアールヌーボーは本場欧州でも決して相容れるものではなかったのだが、この階段手すりの曲線美にアールヌーボーの残滓を感じられないだろうか?

階段。

同上。

住友男爵のブロンズ製建議碑。

北村西望のブロンズ像は両翼増築時に設置された。

中央棟と両翼棟との接続廊下。

閲覧室。

同上。

同上。
天井高が人間の背丈や本棚に比べて圧倒的に高いことがお判りいただけるだろう。

竣工当時の物と思われるスチームヒーター。
冬になると乞食のおっちゃんが暖をとりに前に座って悪臭がするのでかなわない。

階段。

同上。

本館一階正面入り口のある部屋。
漆喰装飾が残っている。

正面入り口扉。
ほとんど開いているのを見たことが無い。

階段。

両翼増築前の模型。

棟札。
国重文指定建築の棟札は棟札も別個に国重文指定になる。

会社の帰りに偶然やっていた図書館基壇部上の能舞台。
古代ローマ復古建築と室町時代、京都の伝統芸能など本質的に全く異なる文化にもかかわらす、無茶苦茶様になっている。
演目は多分義経の話である。

同上。