
竣工年:戦後
戦前日本の私鉄沿線開発といえば「阪急」、「小林一三」の存在感が圧倒的である。小林の革命的な事業の特色とは近代に入って新たに出現した2つの事象、下層中流階級、即ちサラリーマン層の出現と鉄道沿線土地開発を融合させた事に尽きる。全く新たな階層に対し住宅、娯楽、教育、スポーツ、消費等新しいライフスタイルを、北摂・阪神間という歴史を持たない全く新たな土地に提供したのだ。
だが今日余り語られることは無いのだが、戦前もう一つの別の私鉄沿線開発が存在した。昭和4年(1929)近鉄(当時 大阪電気軌道)によって開発された今里新地である。つまり近鉄は膨張する都市労働者の買春需要を鑑み、河内地方ののどかな農村を人身売買による強制売春地帯として近代化させたのだった。恐らく飛田新地開発の成功に触発された前代未問の破廉恥な都市計画は、鄙びた温泉地(=売春の温床地帯)であった宝塚をブルジョワの社交場に変えてしまった阪急のやりかたと好対照を成しているのである。
こうして大衆の弱さや愚かさに金儲けのチャンスを見出した近鉄の開発精神は、当然にして沿線の主要資源たる橿原神宮・伊勢大神宮といった国家神道の扇動に発展した。近鉄と国家神道(=内務省神社局)との近親相姦関係は「「民都」大阪対「帝都」東京」(1998 講談社) 4-6章を参照されたい。
強制売春と狂信がこの国の新しいイデオロギーとなり、戦争という大量殺人・集団自殺に結実した。結果、私鉄沿線開発という類まれな出生を持つ近代遊郭今里新地は空襲によって焼かれた。今日残る今里新地の数寄屋風遊郭建築の大部分は戦後に再建されたものである。
参考図書
大阪のスラムと盛り場―近代都市と場所の系譜学 2002 創元社
「民都」大阪対「帝都」東京 1998 講談社


売春に酒は欠かせない要素なのだろう。

ネット情報ではニューカマーのコリアンタウンになっているらしいが、実際のところエスニックタウンの活気は無い。
通りをパトカーとチンピラ・カーが巡回しているのは、飛田と同じ。

なかなか凝っているが戦後の築である。
<廓外 近鉄今里駅前>

これは戦前っぽいが・・・



