
城東区蒲生の町並み
竣工年代:近世-近代
京橋に近い城東区蒲生4丁目辺りは大阪都心から曹洞宗福聚山慈眼寺(大東市野崎)の参道ルート、
野崎街道の街道筋。
近世、蒲生という地名通り蒲穂が名産だったという農村だった。しかし近代の工業化による
人口増加に伴い大阪市街地に飲み込まれていった。
現状大阪市城東区は東京都中野区、豊島区に続く全国人口密度第3位の人口密集地帯で、農家・農家風町家・近代長屋が見られる。城東区蒲生4丁目界隈は古民家を活用した「
がもよんにぎわいプロジェクト」なる地域振興プロジェクトが施行されている。

大阪出格子が美しい街道筋。

大きな古民家。

一見豪商町家建築風。
しかし恐らく、取って付けたようなツシ二階部分は増築で、昔は平屋の農家建築だったのだろう。

同上。

立派な町家に見えるが、なぜか二階が漆喰仕上げではない。

大阪出格子と瓦タイル?仕上げ。

近代の町家と長屋。

洋風町家。やはり二階が漆喰仕上げではない。

ユニークな形状のうだつ。

忍び返し。

このように寝屋川堤防上に町並みが築かれている。

基壇部は近代町家らしくレンガ造り。

大阪長屋の定石、ニコイチ(二軒長屋)。

二階が
大阪町家の特徴ともいえる大壁ではなく真壁となっている。

かろうじて二階のある家。やはり真壁だった。

こういう平屋が多かった。

平屋。

大塀造りの町家というよりむしろ、小規模農家建築なのだろう。

塀のある大邸宅。

ここは確か
イタリア・レストランにリノベーションされていた。

庄屋クラスの巨大な豪農建築。

同上。

同上門。

同地の富裕さを示す土蔵群。

同上。

ちょうど秋祭りをやっていた。

秋祭りの山車。