
鍵屋太兵衛邸(現 市立枚方宿鍵屋資料館)
竣工年:主屋 文化8年(1811) 別棟 昭和3年(1928)
設計施工:不詳
河内国枚方は近世二大都市、京と大阪の中間に位置したことから、徳川家康によって東海道屈指の宿場町として整備された。京、大阪は共に徳川将軍家不在領地であったため、紀州徳川家は将軍家の権威を示すために参勤交代時に京阪を通った。その際枚方に宿泊することを常とした。
宿場町としての殷賑ぶりを今に示すのが鍵屋である。天正年間(1573ー1593)から平成9年(1997)まで枚方屈指の料亭旅館として名声を博したが、廃業後市立資料館として公開されている。
また北河内の淀川中継港であり商業都市としての側面があったことが、今日残る大規模な町家が示している。ファサードはつし二階が白漆喰塗り大壁、軒裏が漆喰塗込め、一階は大阪出格子、表屋造りという典型的な大阪豪商の町家の形式を継承している。
しかし福井県三国独特の物らしい、「かぐら建て」と呼ばれる建築様式が散見されたのだが、どういう訳でそんな物があるのか謎である。無論京阪都心ではまず全然見られない代物だが・・・・・・?
<鍵屋>

鍵屋主屋ファサード

うだつの鍵マークが洒落ているが文化8年(1811)の建築である。

主屋内部。ほの暗い雰囲気。

主屋座敷。長持にはデカデカと徳川将軍家紋章が付いている。

火鉢と階段たんすがある。

へっついさんが奥ではなく通り側にある変わった間取り。通りで食物がふるまわれたのだろう。

昭和3年(1928)築の奥の別棟に入る。式台玄関である。

別棟の床の一部がくりぬかれトンネル状となっている。かつて淀川から入った船が別棟を抜けて入館できるようになっているのである。


現在は堤防が高くなり、もはや淀川とは連結していない。

別棟一階座敷。

素晴らしい電傘。ここでも鍵印がある。中国では鍵は伝統的な吉祥の印であった。

二階へ続く大階段。

多くの文化人が集ったという別棟二階座敷。

見事な折上格天井のある別棟大広間。



龍の額。

明治期の枚方の様子。田んぼが多くを占めている。屈指の宿場町にして、北河内を代表する商業地だったとは言え、決して伏見と肩を並べるような大都市ではなかったことが分かる。淀川の蒸気船がいかにも文明開化らしい。

枚方出土の陶磁器。右は中国景徳鎮窯古染付、中国漳州窯呉須赤絵でどちらも当時の超高級食器である。

こちらは枚方名物くらわんか椀。伊万里製使い捨て食器。

豪華なお歯黒道具。

天秤。






平成9年(1997)までの400年余りにわたって暖簾を守り通してきたのである。
<街並み>

明治築の田葉粉屋(木南)喜右衛門家。かつて問屋役人、庄屋、両替商を兼ねた豪商で枚方現存最大の巨戸である。

表屋造だが、これほどの規模のものは本場の京阪都心にははもはや残存していないだろう。
つし二階が白漆喰塗り大壁、軒裏が漆喰塗込めの大阪式ファサードである。

しかし側面から見ると「かぐら建て」であることが分かる。どうも福井県三国独特の建築様式らしいのだが・・・・・・


由緒ありげな見事な老松。

淀川氾濫の際、床上浸水を防ぐためと思われる、御影石の基壇がある町家。

こちらも表屋造。

袖うだつが矢鱈と立派である。

こちらも立派な町家。現役の商家らしい。

むくりの付いた都会的な造形の屋根。京阪の中間という地の利が現れている。

また現れた「かぐら建て」町家。

京、大坂の表記の有るみちしるべ。

枚方駅前にあるTSUTAYA枚方本店。
枚方が生んだ大企業TSUTAYA もまた宿場町の系譜を引いている。
宿場町には遊郭が付き物だったが
蔦屋もその一つで大きな遊郭であった。
売春防止法施行後、貸しレコード屋を開業し、巨大化の道を歩んだのである。

TSUTAYA創業家邸。
典型的な遊郭建築だが綺麗に残しているのが凄い。

同上。

TSUTAYA創業家邸川向いの枚方遊郭検番。

同上。

枚方郭内の旧風呂屋さん。

不燃建材である煉瓦が用いられている。

典型的な遊郭建築。軒下に電球のソケットが並ぶ。

枚方公園駅前の商店街。
ここの商店街、よく見ると古い建物ほぼ全てが遊郭建築の意匠なのだが・・・・・・・・・・