
加賀屋新田会所
竣工:宝暦4年(1754)-文化12年(1815)
設計施工:不詳
船場淡路町の豪商、加賀屋(桜井)甚兵衛家が18世紀以来約100年間で干拓した10445haに及ぶ加賀屋新田の会所跡。余り知られていないが大阪市総面積の約1/3がこうした近世豪商による干拓地である。
四方を海に囲まれ、侵略による領土拡張の意志を持たなかった近世日本では、農地の拡大を干拓を含む新田開発に頼らざるを得なかった。畿内では利貸し業務で膨張した富の投資先が存在しない(近代工業資本発達以前では今日のような金融投資など不可能)大阪の金融系豪商が新田開発を担った。今日名の挙げられる近世豪商、天王寺屋(大眉)、越後屋(三井)、泉屋(住友)などは皆大阪周辺に広大な新田を所有していた。しかし近代まで存続した最大の新田は鴻池善右衛門家が開発した鴻池新田であった。
これらの多くは採算が合わず、所有権は転々と売買された。新田のもたらす微々たる利潤よりも魅力的だったのは、大土地所有者というステイタスだったらしい。
しかし加賀屋甚兵衛は新田経営がうまくいったのか、あるいは金融業がぱっとしなかったのか、本業の両替商を廃し子孫四代にわたり新田開発に専念している。
<建築>
会所は年貢徴収、農業インフラ管理、宗門改張(住民票)作成保管、幕府や主家からの命令通達、簡易裁判、代官接待などを行う新田経営拠点であった。しかし加賀屋新田会所では農場経営拠点としてだけではなく船場の本家に対する別荘としての機能を持っていた。採光のとれた健康的な数奇屋建築である。
対して船場の大規模町家建築は谷崎潤一郎が「春琴抄(1933)」で描き、現在でも小西儀助商店(1903)等で見られるように内部は昼間でも薄暗く、決して快適な住環境ではなかった。
この点で東大阪市に残る
鴻池新田会所(1707)とも著しい対照を成している。鴻池新田会所では茶室はおろか数奇屋風の装飾すら抑制され、権威主義的な公共建築といえる。鴻池家では仕事場に主家の遊戯施設を導入することを忌み嫌っていた。そこで
本家と新田会所以外に独立した巨大な数奇屋建築の別邸を大阪瓦屋町に建造したのである。
建築の細部は有力豪商の数奇屋建築だけあって、豪華極まりない。加賀屋新田会所は新田会所としてのみならず希少な近世大阪豪商の数奇屋別荘建築としても貴重な文化遺産なのだろう。

長屋門。火災で失われたため一流の宮大工によって復元された。
むくり屋根のある都会的な造形だが、前方の醜い緑色のフェンスが著しく邪魔である。

冠木門。特異的な形状の瓦屋根は茶道の本山、京都・大徳寺から拝領したデザイン。
額は京都・相国寺の管長によるもの。

式台玄関へのアプローチは直線石畳で表脇に植え込みがある。
茶道でいう「真・行・草」の「真」に相当する。

こちらは「行」。

いかにも数奇屋建築的な式台玄関の吉野窓。天井は杉の一枚板である。

ファサード側から見た吉野窓。雨戸袋が網代となっている。

次の間より縁側と座敷を望む。都心の町家建築ではまず不可能な開放感である。

書院座敷襖絵は雪舟四代・雲谷等益作の山水画。
庭園銘扁額「愉園」は中国清朝末期に漢学者、羅振玉がわざわざこの庭園のために揮毫したもの。

やはり数奇屋風の書院座敷飾り。

本格的な書院には裏に便所とつくばい(手洗い)を設置する。
このつくばいは層塔塔身四方仏の石造遺跡を用いている。

書院軒裏の絞り丸太と千鳥柄透かし彫り欄間。
木に蔓が巻きついてできる絞り丸太は極めて高価である。(現在床柱などで見られるものはほとんど針金を巻きつけてしわを造る人造品)
透かし彫りの大阪欄間は、近世日本の材木集積地で、町家普請が集中した大阪ならではの伝統工芸品だ。

書院から居宅を接続する渡り廊下。
軒裏の細工が素晴らしい。雨ざらしの渡り廊下は水に強い松材。

吹き抜けの台所。ここで茶懐石などを作らせたのだろう。

土蔵。

質素な居宅部分。

居宅と茶室をつなぐ廊下。

茶室「鳳鳴邸」。
扁額は京都・大徳寺第418代貫主、松月宙寶の揮毫。
畳は茶釜を設けるための穴がある。

同上。
徹底的に凝りまくったディティール。アーチ状の竹欄間が渋い。

茶席座敷飾り。現在では入手困難な材木多数。

茶席からは高床式の展望が望める。
しかし会所は建設当初、大阪湾が見える様、西面としたので西日がきつい。
現在では更に干拓が進み、残念ながら大阪湾は見えない。

遠州流築山林泉廻遊式庭園である「愉園」より望む会所全容。

茶室「鳳鳴邸」は京都・清水寺と同じ高床式の舞台造りである。

茶室「鳳鳴邸」にじり口と刀置き。
加賀屋甚兵衛は鴻池や三井と同様、名字帯刀を寛容された特権豪商なのでにじり口に刀置きがある。

池。かつてはここから十三軒堀川を通じて難波・道頓堀と直接運河でつながっており、船で道頓堀の芝居見物としゃれこんだ。
風雅の極みだ