
竣工年:不詳
設計:不詳
天満地区は近世以来の商業地である。特に東天満の菅原町と西天満は空襲を免れたこともあり町家、長屋、土蔵、近代建築が多く残る。なかでもこの菅原町の本瓦葺の豪壮な土蔵(浜納屋)はかつて天満から中之島にかけて多数存在した諸藩蔵屋敷を彷彿とさせる巨大さだ。近世日本の物流の中心大阪にふさわしい建築といえるだろう。

かつては堂島川に直接面していたという搬入口。
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2007年 12月 28日
![]() 竣工年:不詳 設計:不詳 天満地区は近世以来の商業地である。特に東天満の菅原町と西天満は空襲を免れたこともあり町家、長屋、土蔵、近代建築が多く残る。なかでもこの菅原町の本瓦葺の豪壮な土蔵(浜納屋)はかつて天満から中之島にかけて多数存在した諸藩蔵屋敷を彷彿とさせる巨大さだ。近世日本の物流の中心大阪にふさわしい建築といえるだろう。 ![]() かつては堂島川に直接面していたという搬入口。
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by kfschinkel
| 2007-12-28 03:16
| 天満
2007年 12月 24日
![]() 竣工年:昭和5年(1930) 設計:遠藤新 1930年、現在の阪神電車が設立した超高級ホテル。ラストエンペラー、宣統帝溥儀や昭和天皇の弟、高松宮などの王族が宿泊し、大阪、神戸財界人の社交場として機能した。戦中戦後の帝国海軍、GHQによる接収を経て現在は武庫川女子大学の校舎、会館として用いられている。 設計者は現代建築家世界三大巨匠の一人フランク・ロイド・ライトの直弟子遠藤新(えんどうあらた)である。彼は東大卒業後ライトに師事し帝国ホテル(東京 1923 取壊し) 、山邑太左衛門邸(芦屋 1924)等をF. L. ライトと共に手がけた。そしてライト帰国後、大阪高麗橋の英国王室御用達古美術商、山中商会元番頭にして帝国ホテル元総支配人、甲子園ホテル初代総支配人の林愛作から甲子園ホテル設計依頼をうけることになる。ちなみに山中商会時代、アメリカ駐在で知ったF. L. ライトを帝国ホテル新館設計に起用するよう渋沢栄一に進言したのもこの林愛作だった。 完成した建築はざらついた壁体、幾何学模様、起伏に富んだ空間構成などライト建築の強い影響を受けている。完成した写真を見たライトは「君は私の持つもの全てを吸収した」と賞賛した。 <立地条件> 甲子園ホテルの位置する西宮は高級住宅街ではあるが、なぜ大阪、神戸から離れたこの地にホテルができたのだろうか? これは1926年、当時日本最大の経済都市大阪と日本最大の貿易港であった神戸を一直線に結ぶ極東アジア最大の都市間幹線道路、新阪神国道(現 国道2号線)が整備されたことによる。この新阪神国道の中央に位置する甲子園ホテルから大阪都心までの車での所要時間は1930年当時、たったの20分だった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
by kfschinkel
| 2007-12-24 07:28
| 阪神間・北摂
2007年 12月 21日
![]() 竣工年:昭和11年(1936) 設計:村野藤吾 日本を代表する現代建築家、村野藤吾による非常に貴重な最初期の作品。 世界平和記念聖堂(1953 広島)が2006年戦後建築として最初に国の重要文化財指定を受けるなど、彼の作品は死後もなお極めて評価が高い。しかし村野のお膝元、大阪ではもうそこらじゅうにうじゃうじゃ転がっているせいか、それが建築作品として価値のあるものだとは誰も気にも留めない。大阪の住民は恐らく視覚障害者以外全員彼の建築を普段から目にしているし、中に入ったことの無い人間もほとんどいないに違いない。しかしいいかげん自分達の街の真の価値に気付くべき時ではないのだろうか。 ![]()
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by kfschinkel
| 2007-12-21 02:39
| 船場(淀屋橋界隈)-近代建築
2007年 12月 09日
![]() 設立年:明治4年(1871) 帝国陸軍が設立した日本最大最古の陸軍軍人墓地。陸軍創始者大村益次郎は世襲制武士軍団ではない近代陸軍の創設を大阪から着手すべく、大阪城周辺に兵学寮、兵隊屯所、造兵寮、衞戍病院などを設立、明治4年(1871)日本最初の徴兵制が実施された。これに併せて同年設立されたのが真田山陸軍墓地である。 墓石の大きさ、素材、敷地の広さは階級ごとに異なる。将校の墓は遺族が建立した上質な花崗岩製で、墓というよりは巨大な記念碑のようだ。風化の兆候はほとんど無い。一方圧倒的多数を占める捕虜、軍役夫、兵卒、下士官の墓石は陸軍が建立した安物の和泉砂岩製で風化が激しく崩壊したものもある。 15077㎡に及ぶ広大な敷地に5300基余りの墓石が整然と並ぶ光景は壮烈だ。しかしこれらのほとんどは日露戦争以前のものである。以降、日中戦争、太平洋戦争と時代を下るに従って戦死者数は増加の一途をたどり、もはや個別の墓では対応できなくなっていた。第二次世界大戦末期の昭和18年(1943)に建設された仮忠霊堂には4万3千柱もの遺骨が納骨されている。 現在、仮忠霊堂は老朽化が著しく危険な状態という。「老朽化」という言葉はあたかも自然現象であるかのごとき印象を与えるが、単に適切な維持管理を怠った結果に過ぎない。 こんないいかげんな管理をやっているのは例によって大阪市である。しかし勝とうが負けようが全ての近代戦争の結果と責任は各々の国家が負う。近代軍制と戦争が生み出した恐るべき負の遺産である真田山陸軍墓地の現状は国家の責任で是正されなくてはならない。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 彼は明治期に軍隊で蔓延していた脚気の原因が栄養の偏りである事を見抜き、大阪鎮台で麦食を奨励して脚気を一掃した。当時の陸軍では脚気は細菌感染症とする意見が支配的であった。 ![]() ![]()
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by kfschinkel
| 2007-12-09 19:07
| 上町(大阪城界隈)
2007年 12月 03日
![]() 竣工年:大正14年(1925) 設計:不詳 とても消防署には見えない小さい洗練されたビル。近年払い下げられてイタリアレストランとなった。バルコニーの花壇が素晴らしい。 今では鬼面人を驚かすような異常な公共建築を建てまくって自滅している大阪市だが、かつてはこのような質素で上品な庁舎群が際立っていた。 一体どこでおかしくなってしまったのだろうか?
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by kfschinkel
| 2007-12-03 02:39
| 船場(淀屋橋界隈)-近代建築
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