
竣工年:不詳
設計施工:不詳
所在地:大阪市中央区安堂寺町1‐4‐15
細い植え込みの参道が都会的なお寺。空襲から焼け残った町家が残る、上町の旧市街にある。
<物凄い歴史>
推古天皇8年 (600年)、聖徳太子の創建。蘇我稲目、小野妹子、大伴金村の娘が尼僧として寺に入った。四天王寺西門内にあったが、戦乱により焼失後、寛文8年(1668年)現在地に移転。現在は四天王寺を総本山とする和宗に属する尼寺とのこと。



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2007年 09月 28日
![]() 竣工年:不詳 設計施工:不詳 所在地:大阪市中央区安堂寺町1‐4‐15 細い植え込みの参道が都会的なお寺。空襲から焼け残った町家が残る、上町の旧市街にある。 <物凄い歴史> 推古天皇8年 (600年)、聖徳太子の創建。蘇我稲目、小野妹子、大伴金村の娘が尼僧として寺に入った。四天王寺西門内にあったが、戦乱により焼失後、寛文8年(1668年)現在地に移転。現在は四天王寺を総本山とする和宗に属する尼寺とのこと。 ![]() ![]() ![]()
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by kfschinkel
| 2007-09-28 02:38
| 上町(大阪城界隈)
2007年 09月 22日
![]() 竣工年:明治30年代(1897-1907) 設計施工:不詳 土佐堀川沿いに面した二軒長屋。大阪では二軒長屋を「ニコイチ」と呼ぶ。 近世江戸では長屋といえば最下層民の住む貧相なあばら屋だったという。しかし大阪では市民の九割が借家住まいであり、かなりの資産家でも税金対策などからあえて貸家を選ぶ者が少なくなかった。従って一口に長屋といっても粗末な裏長屋から豪商町家に匹敵する豪華な建築まで幅広いバリエーションがみられる。 また大阪の長屋は基本的に高価な瓦葺、漆喰塗り仕上げとしていたため、江戸と比べて火事の発生件数が極端に少なかった。 これなどは規模が小さい長屋にもかかわらず、建築コストが高い土蔵造りで、大阪では非常に珍しい関東風の観音開き窓まで付いた耐火仕様になっている。一方玄関にはペディメント風の装飾があり、内部の事務所は西洋風の意匠が採用されている。 また普通の長屋であれば吹き抜けの通り庭にある台所や食堂が地下一階に設置されており、狭い空間を有効に使っている。 地域性や明治後期の時代背景が現れたユニークな長屋といえる。 <参考> ![]() 一般に関東の土蔵造り商家は、一階の軒が道路側に張り出した出桁造りで、巨大な鬼瓦や壁面に装飾用の金具が付く。北浜の二軒長屋ではそうした特徴は継承されておらず、大阪風に意匠が改変されていることが判る。
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by kfschinkel
| 2007-09-22 02:06
| 船場(淀屋橋界隈)-町家建築
2007年 09月 20日
![]() 竣工年:昭和12年(1937年) 設計: 長谷部・竹腰設計事務所 関西電力の起源の一つで、戦前の五大電力会社の一角を占めた宇治川電気の本社ビル。現在は関電が所有する貸しビルになっている。 築70年とは思えない普遍的な美しさをたたえたビルで、その古典的な窓割りや絶妙な配置のバルコニー、美しいレリーフをみれば紛れも無い天才の作品であることが判る。 設計者、長谷部鋭吉は住友本店(1926、1930)や日本生命保険相互会社本店本館(1938、1962)、大阪カテドラル聖マリア大聖堂(1963)など昭和期大阪の主要な大規模建築を手がけている。それらはいずれも古典主義の残滓を漂わせたシンプルでモダンな建築だった。 ![]() ![]() 乳白色の陶器タイルも素晴らしい質感である。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 従って、表のファサードだけでなく、全体に化粧タイルが貼られている。 ▲
by kfschinkel
| 2007-09-20 02:50
| 天満
2007年 09月 15日
![]() 山口銀行北支店(現 三菱東京UFJ銀行天神橋支店) 竣工年: 昭和5年(1930)ごろ 設計:片岡・石本建築事務所 スクラッチタイルが剥がされ、印象的な二階の八角星型の窓が塗り込められる等、改造が加わっているが、昭和初期の銀行建築。 一般に大阪を中心とする西日本の銀行建築は東日本の銀行建築でよくある、判を押したようにワンパターンな花崗岩の新古典主義建築よりも、個性的なファサードが目立つ。改造前の山口銀行北支店はドイツ表現主義の当時としては非常にモダンなスタイルだった。今も残る軒蛇腹の美しい装飾が素晴らしい。 山口銀行は幕末創業の大阪の新興豪商、山口(布屋)吉郎兵衛が設立した戦前の在阪大手銀行。昭和恐慌を期に鴻池・三十四の二行と合併し、三和銀行となった。さらなる合併により現在は東京三菱UFJ銀行となっている。 <片岡安> 設計者の片岡安は日本近代建築の創始者、辰野金吾と共同で事務所を設立した大阪建築界の重鎮。日本生命創業家、片岡家の養子となり、建築家でありながら財界でも権勢を振るった。国務大臣とも対等に話したという。 辰野の死後は幾何学模様と垂直のラインを強調したヴィーン・ゼツェッシオン(分離派)の意匠を加えたルネッサンス様式の大規模建築を多く残した。 代表作はこの山口銀行の本店が入居した山口ビルディング(1923 大阪瓦町 取壊し)の他、大阪毎日新聞本社(1922 大阪堂島 取壊し)、武田長兵衛商店本館(1928 大阪道修町)等やはり大阪の大企業関連ビルが多い。 ![]() 二階一対の窓が塗り込められた跡が見える。 戦前、天神祭の日にはこの山口銀行北支店は休みになり、二階のバルコニーが地元住民に開放された。 天満の町衆が二階から天神祭の山車を見物する写真が残っている。
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by kfschinkel
| 2007-09-15 00:22
| 天満
2007年 09月 12日
![]() 関西ペイント本社(取り壊し) 竣工年: 昭和25年(1950) 設計:東畑謙三 日本最大の塗料メーカ、関西ペイントの本社ビル。 設計者の東畑謙三は3大現代建築家の一人、ル・コルビジェを日本で最初に紹介した人物。戦後は一転して機能的なビルを設計し、彼の事務所は死後の現在も組織系設計事務所として存続している。 このビルは戦後建築である。しかし乳白色と金色の暖かい質感のタイルや、ユニークな形状の電灯等からは、近代建築の雰囲気が感じられる。 恐らく竣工時の1950年には戦後復興が始まったばかりで、旧体制崩壊後の社会が求める建築の方向がまだ不透明だったのだろう。その後のオフィスビル建築が進んだ道は、この関西ペイントビルとは全然違うものだった。 ![]() ▲
by kfschinkel
| 2007-09-12 01:12
| 船場(淀屋橋界隈)-近代建築
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