
正木孝之邸(現 正木美術館)
設計施工者:不詳
竣工年:昭和24年(1949)
戦後まもなく建造された泉州の建築様式と数寄屋が融合した豪邸。
かつての主、正木孝之は近世以来の泉北郡忠岡町旧庄屋で、映画が娯楽産業の花形であった時代、堺市にて映画館を経営していた。
正木は戦後古美術商の勧めに従って、当時評価が低かった中世東洋美術を収集する。そして一代で国宝3点、重要文化財12点を含む1200点という巨大な美術コレクションを形成した。当初大阪・中之島で私立美術館建造を計画したが、予定地で毒ガス(!)が発生し断念。結局自邸の土地に昭和43年正木美術館がオープンとなった。
収集期が美術品が特権階級の専有物であった戦前ではなく戦後、主な収蔵品が茶道具や鑑賞陶磁器・金石ではなく古書画というのは古美術系私立美術館としてはかなり異色である。

正木孝之邸門構え。
美術館入口はここではない。
一見戦後っぽい田舎の家の印象だが中身は違う。

同上。
いかにも泉州らしいのっぺりとした土蔵の形状である。

美術館。
元骨董屋で関東の現代写真家、杉本博司と収蔵品のコラボのような企画展をやっていた。近畿圏では珍しい斬新で興味深い展示手法であり、一見の価値がある。

美術館から邸宅建築へつながるアプローチ。

泉州独特の雰囲気のあるむくりの大屋根が見える。

アプローチ。

玄関前。
一見して数寄屋建築と判るが、独特の形状である。

非常に力強い下り棟。
下り棟を意図的に廃する京都の数寄屋とは真逆の発想である。

玄関。
この入口を見ただけで金のかかった良い建物であることは一目瞭然である。

抜かりの無いなぐりの仕上げ。
材木もいかにも高級そうである。

巨大な広間。
大阪とか京都の数寄屋には無い豪快さと開放感が感じられるが、田舎臭い感じはしない。
泉州の中心都市・堺は数寄屋建築発祥の地であり、地元の様式と数寄屋の相性が合うのは当然である。

欄間は大阪欄間っぽい。

色の薄い木目を強調した材木は極めて泉州的である。

書院欄間・障子アップ。

床。

縁側。

照明。

座敷。

庭。

同上。

ブロンズ製雨とい。

向かいの巨大な邸宅。泉州の古い邸宅はとにかく豪壮なものが多い。
同じ正木姓なので一族か?

美術館と同じ形状の屋根。

これも正木姓の巨大長屋門。
美しく手入れされている。

素晴らしい。

同上遠景。
主屋は平屋ではなく、虫篭窓のある本二階建てである。

メリヤス工場と思われる木造建築。

邸宅。

生垣がある。

昭和初期と思われる洋館工場事務所。

泉州独特の豪壮な屋根。

名物?のトラヤキ。
見づらい写真で恐縮だが「オーセンティック・ブレッド・メイカー」なのだそうだ