
竣工年:<主屋>宝永4年(1707)頃 <土蔵、塀、門>江戸中期(17-18c)
設計施工:不詳
平野は現在は大阪市平野区という位置づけであるが、かつては摂津国平野郷として摂津国大阪とは独立した商業都市であった。
中世から近世初めにかけては堺と並ぶ自治都市として隆盛を極めたのだが、江戸時代になってその拠点性を失い、近代に膨張する大阪に飲み込まれ解消していったのである。
この末吉家は平野七名家の筆頭で、朱印船貿易、銀座の監督、幕府代官、柏原船の運航を担った。大阪東横堀川に今も残る末吉橋を架橋したのもこの末吉家である。
平野は空襲を免れており現在もその壮麗な屋敷構えを見ることが出来る。

これは代官屋敷とか武家屋敷と呼んだほうが妥当だろう。
平野や堺、博多のような中世の自治都市の商人の実態は、商売を兼業する武装した武士で、近世以降の商人とは性格が異なる。



