2008年 09月 21日
天満の大商家(取壊し)
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竣工年:不詳
設計施工:不詳
天満の天神さんとして名高い大阪天満宮の正門通り沿いにあった巨大な表屋造りの町家建築。
これとよく似た意匠の町家が「大阪の風俗」(宮本又次 1973 毎日放送刊)に船場の米谷履物店(南久宝寺町)として載っており、戦前のある時期における大阪町家の典型的な建築スタイルであったようだ。
関東由来の分厚い土壁と黒漆喰で塗り込めた防火工法、土蔵造りの建物本体を、うねる様な意匠の瓦を頂いた「そでかべ」で挟み、さらにその両脇にはコンクリート製の防火壁を備えている。大阪における「そでかべ」は、享保9年(1724)の妙知焼け以降、町家の延焼を防ぐために設置された。そして現在残る天満の町家の多くは天満の大火(1909)の影響からか、過敏なまでに防火対策がとられている。木造家屋が密集する近世、近代の大都市において、町家建築の変遷は火災との戦いの歴史でもあった。
また船場の小西儀助商店(道修町、1903)、小西平兵衛邸(伏見町、1880、1888)と並び、大阪旧市街に残る町家建築の中でも最大規模のものであった。店舗棟と住居棟が分離し、更に奥に土蔵を備えた豪奢な表屋造りの町家は、船場ではまだよく見かけるが天満では珍しい。店舗棟横に高塀が付属しており、さらに格式を高めている。
全体としてこのようなディティールの町家は300年余りに渡って重層的に積み上げられた大阪町人文化の伝統に根ざした大阪独自のもので、近代西洋様式建築以上に希少かつ重要である。まともな先進国であればとうの昔に法的保護下に入っているはずのこの印象深い町家建築は、しかし、低層マンションを作るために2008年破壊された。
この国の歴史的建造物に対する保護体制は欧米はおろか中国よりもはるかに劣悪で、アフガニスタン・タリバーンや北朝鮮・ボルシェヴィキと同レベルといえる。



by kfschinkel
| 2008-09-21 18:45
| 天満

