2008年 03月 02日
清水猛商店
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竣工年:大正13年(1923)
設計:住友工作部(小川安一郎)
この建築は無数にある船場の建築群のなかで最も独創的なものかもしれない。通りから見えるファサードは一見純西洋式、スペイン風の洋瓦を頂くルネサンス様式のRC造近代建築であるかに見える。
しかしこれは京阪都心の上層商家でよくみられる表屋造りの木造町家建築なのである。表屋造りの町家は通りに面した店舗棟と後方の居住棟で構成される。そして居住棟奥や側面に土蔵と中前栽(なかせんざい)を配置する。豊臣秀吉が町割りを行った京阪の鰻の寝床形の敷地で発達した、採光や居住性が配慮された平面構成といえる。
清水猛商店においてはルネサンス様式の洋館は普通の町家ならば虫籠窓に細格子のある店舗棟に相当する。そして店舗棟後方には三階建て、全室和室の居住棟と中前栽が控えている。居住棟奥には竣工当時土蔵が配置されていたのだが、こちらは近年解体されてしまった。
さらに興味深いのはこの町家の設計が財閥系の設計事務所、住友工作部であるという点だ。住友工作部にしろ後進の日建設計にしろその組織の性格上、作品の多くがオフィスビル建築である。「船場の中の船場」と呼ばれ近世、近代にかけて日本の商業地でも最高の格式と影響力を誇った北船場地区の商家とはいえ、間口3間の木造商家になぜこうした財閥系設計事務所が関わったのだろうか?
それは住友工作部がそもそも住友財閥の本拠地たる住友ビルディング(1926,1930 大阪)設計のために設立された組織であったためである。そして清水猛商店は住友ビルディングのプロトタイプの一つとして設計されたといわれている。効率重視の今日では考えられないことだが、明治33年(1900)の創立以来、昭和5年(1930)住友ビルディング竣工に至るまでの約四半世紀もの間、住友工作部は住友財閥の本部ビルにふさわしい建築の姿を模索し、住銀支店建築を中心に大小構わず様々なプロトタイプの様式建築を延々と造り続けていた。
この清水猛商店では当主が住友銀行に出入りしていた縁で住友工作部に設計を依頼した。担当したのは住友工作部トップ、長谷部鋭吉の同期入社で住友銀行東京支店(1917 取壊し)などを設計した小川安一郎である。京都高等工芸学校で西洋建築様式を学んだ建築家が手がけた町家だけあって、大工による看板建築とは一線を画する正統なルネサンス様式の意匠を備えている。

チェーンで釣り上げられた庇の意匠も素晴らしい。


by kfschinkel
| 2008-03-02 04:02
| 船場(淀屋橋界隈)-近代建築