2007年 10月 06日
鴻池善右衛門家今橋本邸 (大阪美術倶楽部旧館 取壊し)
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(ビル後方の切妻屋根の日本建築)
鴻池善右衛門家今橋本邸 (大阪美術倶楽部旧館)
竣工年: 天保8年(1837)
設計施工: 不詳
近世最大クラスの豪商、鴻池善右衛門家の今橋本邸は間口36間、奥行20間、表屋造りの巨大な町家建築であった。平成19年(2007)まで鴻池本邸のうち計48畳の大広間を含む住居棟の一部と茶室、庭、御納戸蔵が残り、大阪美術倶楽部旧館として利用されていた。
建築自体は幕府の禁令に厳格に従い松や杉を用いた質素なものであり、建設当初は船場の豪商町家ではすでに一般的であった茶室すら設置されなかった。近世、近代の大阪観光コースには鴻池本邸が組み入れられていたが、奈良の大仏殿並みの御殿を想像していた観光客は、その簡素な表構えを見て拍子抜けしたという。
しかし邸内地下の穴倉には大量の金銀貨が積み上げられ、土蔵には国宝飛青磁花入を含む膨大な美術品コレクションが収納されていた。
昭和初期には当主と家族の他、執事、次席執事、家庭教師、看護婦、5人の勘定場員、庭師、大工、運転手、運転助手、2人の料理人、御飯炊女中、3人の上女中、8人の御納戸女中、4人の御子息お付女中、洗濯係の女中、8人の男衆、2人の門衛等、総勢40名余りもの使用人が働いていた。
戦後今橋本邸は大阪美術倶楽部に売却され鴻池家は芦屋へ移った。その後今橋通に面した店舗棟は奈良富雄へ移築されてビルが建ち、難波橋筋沿いの土蔵群は駐車場となった。残った住居棟などの建築群は通りからは屋根しか見えず、これらも平成19年(2007)、ついに取り壊されてしまった。
<鴻池家とは>
鴻池善右衛門家は近世後期最大の門閥豪商のひとつ。
戦国武将山中幸盛の息子、初代幸元が慶長年間(1600年前後)に摂津国川辺郡鴻池村(現 兵庫県伊丹市)で酒造業者として創業。その後海運業、両替商を兼ね、近世日本における金融の中心、大阪今橋に進出する。
三代善右衛門宗利は酒造業、海運業を廃し、以降金融業に一本化した。
業務内容は多彩で、銀行業に相当する本両替商として各藩への資金貸付、手形や銀札(紙幣)の発行、金銀の両替業務や、商社、経営コンサルタントに相当する蔵元、掛屋として各藩の年貢米や物産の換金、各藩の財政運営の助言まで行っていた。配下の5家の分家、32家の別家は各々が有力豪商であり、鴻池善右衛門家を頂点とする巨大金融コングロマリットを構成していた。
又公職として幕府より十人両替に任ぜられ、金銀相場の統制、両替商仲間の統率、幕府公金の出納に勤めた。
また廃藩置県以降の大阪府下最大の不在地主でもあった。宝永2年(1705)、河内国若江郡(現 東大阪市)で石高一万七千石の新田を開発し(鴻池新田)、経営にあたった。しかし新田事業はその莫大な投資額の割に利益は微々たるものでしかなかった。一方、大阪都心に計一万坪以上の不動産を所有し、重要な相続財産とされた。
最大の収益源である大名貸による莫大な利息収入の他に、蔵元、掛屋として各藩からの給与だけでも年間一万石もの収入があり、諸大名を凌駕する資産を誇った。江戸後期の幕府御用金負担額や大阪長者番付では常に最高位に格付けされている。
政情不安定化した幕末期、巨万の富ゆえに大塩平八郎の乱では焼き討ちにされた。また新撰組による恐喝被害にもあっている。
しかし明治維新後名だたる豪商が没落する中、堅実で保守的な経営と、圧倒的な名声により銀行家としてその巨額の資産をさらに増やした。十一代善右衛門幸方は鴻池銀行(現 東京三菱UFJ銀行)頭取の他、政財界の要請を受けて初代日本生命社長に就任した。これは当時怪しげな新商法と見做されていた生命保険業に老舗のお墨付きを与えたに等しかった。そして明治44年(1911)三井高弘、住友吉左衞門らとともに男爵に列せられる。
しかし三井、住友が金融、生産、流通を包括する財閥へと膨張したのに対し、鴻池は異業種事業を売却して銀行業に純化した。結果、次第に経済界における主導的地位を失い、鴻池銀行は在阪下位行にまで転落、昭和恐慌を期に山口・三十四の二行と合併し三和銀行となった。さらに敗戦後の農地改革により鴻池新田内の広大な農地を失った。
現在鴻池新田内の宅地、商業地や伝来の美術品、資料を含む資産が鴻池合資会社により管理されている。また鴻池家は阪神大震災後の平成7-9年度(1995-1997)に大阪市立歴史博物館と京都国立博物館へ3千点余りの美術工芸品等を寄付した。
鴻池家の栄光と凋落は巨大経済都市大阪の興亡と符号していて興味深い。

住居棟の巨大な煙出し口が見える。本瓦葺きの棟屋は御納戸蔵。

幕末期の鴻池本邸。奈良へ移築された店舗棟の背後に住居棟の煙出し口が描かれている。
虫籠窓と細格子のある店舗棟と住居棟に分かれた表屋造で客門付きの大塀、土蔵と見越しの松が付属する典型的な京阪豪商の町家建築であったことが判る。

鴻池善右衛門家今橋本邸 (大阪美術倶楽部旧館)
竣工年: 天保8年(1837)
設計施工: 不詳
近世最大クラスの豪商、鴻池善右衛門家の今橋本邸は間口36間、奥行20間、表屋造りの巨大な町家建築であった。平成19年(2007)まで鴻池本邸のうち計48畳の大広間を含む住居棟の一部と茶室、庭、御納戸蔵が残り、大阪美術倶楽部旧館として利用されていた。
建築自体は幕府の禁令に厳格に従い松や杉を用いた質素なものであり、建設当初は船場の豪商町家ではすでに一般的であった茶室すら設置されなかった。近世、近代の大阪観光コースには鴻池本邸が組み入れられていたが、奈良の大仏殿並みの御殿を想像していた観光客は、その簡素な表構えを見て拍子抜けしたという。
しかし邸内地下の穴倉には大量の金銀貨が積み上げられ、土蔵には国宝飛青磁花入を含む膨大な美術品コレクションが収納されていた。
昭和初期には当主と家族の他、執事、次席執事、家庭教師、看護婦、5人の勘定場員、庭師、大工、運転手、運転助手、2人の料理人、御飯炊女中、3人の上女中、8人の御納戸女中、4人の御子息お付女中、洗濯係の女中、8人の男衆、2人の門衛等、総勢40名余りもの使用人が働いていた。
戦後今橋本邸は大阪美術倶楽部に売却され鴻池家は芦屋へ移った。その後今橋通に面した店舗棟は奈良富雄へ移築されてビルが建ち、難波橋筋沿いの土蔵群は駐車場となった。残った住居棟などの建築群は通りからは屋根しか見えず、これらも平成19年(2007)、ついに取り壊されてしまった。
<鴻池家とは>
鴻池善右衛門家は近世後期最大の門閥豪商のひとつ。
戦国武将山中幸盛の息子、初代幸元が慶長年間(1600年前後)に摂津国川辺郡鴻池村(現 兵庫県伊丹市)で酒造業者として創業。その後海運業、両替商を兼ね、近世日本における金融の中心、大阪今橋に進出する。
三代善右衛門宗利は酒造業、海運業を廃し、以降金融業に一本化した。
業務内容は多彩で、銀行業に相当する本両替商として各藩への資金貸付、手形や銀札(紙幣)の発行、金銀の両替業務や、商社、経営コンサルタントに相当する蔵元、掛屋として各藩の年貢米や物産の換金、各藩の財政運営の助言まで行っていた。配下の5家の分家、32家の別家は各々が有力豪商であり、鴻池善右衛門家を頂点とする巨大金融コングロマリットを構成していた。
又公職として幕府より十人両替に任ぜられ、金銀相場の統制、両替商仲間の統率、幕府公金の出納に勤めた。
また廃藩置県以降の大阪府下最大の不在地主でもあった。宝永2年(1705)、河内国若江郡(現 東大阪市)で石高一万七千石の新田を開発し(鴻池新田)、経営にあたった。しかし新田事業はその莫大な投資額の割に利益は微々たるものでしかなかった。一方、大阪都心に計一万坪以上の不動産を所有し、重要な相続財産とされた。
最大の収益源である大名貸による莫大な利息収入の他に、蔵元、掛屋として各藩からの給与だけでも年間一万石もの収入があり、諸大名を凌駕する資産を誇った。江戸後期の幕府御用金負担額や大阪長者番付では常に最高位に格付けされている。
政情不安定化した幕末期、巨万の富ゆえに大塩平八郎の乱では焼き討ちにされた。また新撰組による恐喝被害にもあっている。
しかし明治維新後名だたる豪商が没落する中、堅実で保守的な経営と、圧倒的な名声により銀行家としてその巨額の資産をさらに増やした。十一代善右衛門幸方は鴻池銀行(現 東京三菱UFJ銀行)頭取の他、政財界の要請を受けて初代日本生命社長に就任した。これは当時怪しげな新商法と見做されていた生命保険業に老舗のお墨付きを与えたに等しかった。そして明治44年(1911)三井高弘、住友吉左衞門らとともに男爵に列せられる。
しかし三井、住友が金融、生産、流通を包括する財閥へと膨張したのに対し、鴻池は異業種事業を売却して銀行業に純化した。結果、次第に経済界における主導的地位を失い、鴻池銀行は在阪下位行にまで転落、昭和恐慌を期に山口・三十四の二行と合併し三和銀行となった。さらに敗戦後の農地改革により鴻池新田内の広大な農地を失った。
現在鴻池新田内の宅地、商業地や伝来の美術品、資料を含む資産が鴻池合資会社により管理されている。また鴻池家は阪神大震災後の平成7-9年度(1995-1997)に大阪市立歴史博物館と京都国立博物館へ3千点余りの美術工芸品等を寄付した。
鴻池家の栄光と凋落は巨大経済都市大阪の興亡と符号していて興味深い。

住居棟の巨大な煙出し口が見える。本瓦葺きの棟屋は御納戸蔵。

虫籠窓と細格子のある店舗棟と住居棟に分かれた表屋造で客門付きの大塀、土蔵と見越しの松が付属する典型的な京阪豪商の町家建築であったことが判る。
by kfschinkel
| 2007-10-06 01:48
| 船場(淀屋橋界隈)-町家建築

