教育塔
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竣工年:昭和11年(1936)
設計:大阪市営繕課
室戸台風で亡くなった教員や生徒を追悼するために建設された慰霊碑なのだという。しかしその異常な巨大さ(高さ30m)や、災害とは全く無関係な右側レリーフがこの記念碑の真の建設目的をあからさまに表明している。
レリーフの直立不動で無表情な子供の隊列を前にモーニングコートを着た男が読み上げているのは、教育勅語である。教育勅語は明治23年(1890)10月30日、山縣有朋内閣が国家教育の基本方針を起草し、明治天皇の名義で発布された。昭和に入り、その民族主義的、国家主義的内容から、革新派官僚や軍部が国民の強制的同質化を進めるために神聖化された。当時天皇の写真と教育勅語のコピーを火事から救うために、燃える校舎へ飛び込んで死んだ馬鹿な教師が国民的英雄に祭り上げられたのだという。今日の北朝鮮を髣髴とさせる全体主義的政治体制下では、国民の自由な精神を圧殺するために、この様な巨大なモニュメントが必要だったのであろう。
戦後、日本教職員組合が帝国教育会から教育塔を受け継ぎ、この上なく美しく管理されている。そして教育勅語が発布された記念すべき毎年10月30日には政府賓客を招いて式典が催されるということだ。


