大阪市公会堂 (中之島公会堂)
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竣工年: 大正7年(1918)
設計:原案-岡田信一郎、実施案-辰野片岡建築事務所
大阪安堂寺町の有力両替商の次男で、証券業で成功した岩本栄之助が大阪市に寄贈した公会堂建築。岩本は第一次大戦下、投機に失敗して全財産を失い、公会堂竣工直前に拳銃自殺をとげた。
設計は当時珍しかったコンペにより進められた。選ばれたのは気鋭の新人建築家岡田信一郎だったが、建築界の重鎮、辰野金吾により修正後、施工された。
<フリー・スタイルと辰野金吾>
完成した正面ファサードは様々な様式の意匠がばらばらに組み合わされ、異様な感じがする。内装は絢爛豪華だが、舞台アーチに掲げられた黄金色の雅楽面や日本の古代人が宙を舞う天井画などは不気味としか言い様が無い。
ネオ・ルネッサンス様式に分類されることがある。しかしその特異な外観や室内装飾はルネッサンス的清新さや合理性とは対極の、19世紀後半にヨーロッパで流行したフリー・スタイル(フリークラシック)の特徴がよく現れている。ベルギー最高裁判所(Justitiepaleis van Brussel, 1883)やロンドン・ウエストミンスター大聖堂(1903)に代表される、歴史上のありとあらゆる様式装飾を無秩序に融合した建築形体である。
帝国主義が吹き荒れ、西欧文化が退廃していったこの時代にふさわしく、各様式固有の時代精神は軽視される一方、大袈裟な装飾と巨大さが追求された。「ローマ帝国衰退後に興隆した様式」と後にナチの建築家、シュペーアが評したこれらの建築の多くは、グロテスクで現実感に乏しい。
そして日本近代建築の創始者、辰野金吾が留学先の大英帝国から新興近代国家日本に移植したのがこのフリー・スタイルだった。日銀本店、東京駅など明治大正期に建てられた国家建築の多くは辰野によるフリー・スタイル建築である。ヴィクトリア朝卑俗趣味を十分に受け継いだこれらの建築は、近代日本のキメラ的な政治体制を彷彿とさせる。
一方、本建築は日本では非常に珍しい絢爛豪華な内装を誇る大型公共建築でもある。一建立で建ててしまった岩本の財力がしのばれる。
<現況>
戦後、大阪市の愚かな再開発により取り壊されそうになるが、市民による保存運動の結果、破壊を免れた。しかし修復時に外壁が新築同様のピカピカにクリーニングされてしまったのは惜しい。以前の黒く煤けて廃墟然とした雰囲気が個人的に好きだったのだが。
国指定重要文化財。


