2007年 06月 10日
小西平兵衛邸 (現 銭高組伏見高徳寮)
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竣工年:奥の蔵/明治13年(1880) 居住棟/明治21年(1888)
設計施工:大工棟梁-弥兵衛 左官-前兵衛 石工-太郎兵衛 屋根-喜兵衛 手代-茂兵衛
間口13間、奥行き16間、三ッ蔵を備えた表屋造りの巨大な町家。道修町の小西儀助商店(1903)と並び、大阪船場に残る大商家の遺構である。唐物商(輸入品問屋)、小西平兵衛家の邸宅であったものを1941年大阪の老舗ゼネコン銭高組が買い受け、現在は同社社員寮となっている。
正面ファサードが削られた様な奇妙な形状なのは、大正期の道路拡張の際の軒切りによるものである。おそらく軒切り以前は虫籠窓に出格子といった表構えだったのだろう。
遠くから眺めると伏見町通に面した背の低く小さなツシ二階の店舗棟に対して、奥の居住棟が高くそびえ立ち、思いのほか大規模な町家であることがわかる。煙出し口と木製の物干し台が印象的。
通常狭隘な京阪都心の商家には奥座敷に仏壇が設置される。しかし小西平兵衛邸では12,5畳の奥座敷の手前に8畳の独立した仏間を設置することにより、さらに格式を高めている。
内部はほとんど手が加えられておらず保存状態は非常に良好であるという。また天井が高く大黒柱が太いなどの点を除けば、あまり江戸時代の町家と変わらない。大阪市立の博物館、大阪くらしの今昔館では近世後期の大阪市中の商家建築を再現する際、小西平兵衛邸を参考資料にした。


夜は防犯のために大戸を閉め、潜り戸から出入りするのである。

<2022年現在>
国宝・重文クラスの文化財を多く手掛ける鳥羽瀬社寺建築(東大阪市)によって改修が完了した銭高組伏見高徳寮。
古建築の改修というと残念な意匠や安っぽい建材に改悪されることが殆どである。
しかし今回は昭和臭漂う灰色のモルタル塗りと、入り口の関東っぽい江戸黒が、伝統的な大阪町家らしい白漆喰塗に改められ良くなっている‼
幸運だったとしか言いようがない。
by kfschinkel
| 2007-06-10 03:11
| 船場(淀屋橋界隈)-町家建築





