浜寺の近代住宅建築群
竣工年:昭和初期
大阪都市圏の古い郊外住宅地といえば
阪神間、北摂、帝塚山などが挙げられる。しかしこうした場所の大規模な近代住宅建築の多くがマンションや小さな分譲住宅に分割されてしまいかつての面影を殆ど留めていない。
しかし浜寺公園駅の東部に所在する、昭和初期に浜寺土地株式会社によって開発された浜寺昭和町界隈では現在でも点ではなく面として巨大な数寄屋の豪邸の美しい街並みを見ることができる。
芦屋や近くの帝塚山、あるいは京都都心のように景観が破壊されなかった理由は、
都市計画法第9条第1種低層住宅専用地域に指定されており「マンション※」建造が不可能なせいだろう。浜寺を歩くと高層の建造物が全く無く、日当たりが良くて、気持ちの良い感じがする。「マンション」は文化財建造物と景観を完全に破壊する。伝統ある高級住宅街に醜悪で貧乏臭い「マンション」などいらない。
※マンション(mansion)の英語の意味は大豪邸で、英国のマナーハウス(ex.
1、
2)やビバリーヒルズあたりの近代住宅(ex
1、
2)などが該当する。本来の意味の高級マンションなど日本では西本願寺門主・大谷家が住む書院造の御殿位しか現役該当物件は存在しないだろう。
浜寺公園駅。
待合室。
待合室内部。
とても良い状態で残っている。
トラス構造が美しい屋根。
旧改札。
全景。
かっこいいロゴ。
浜寺でも最大クラスの巨大な豪邸。
同上エントランス。
同上。写真では判りずらいのだが巨大すぎて笑ってしまう。
同上土蔵。
同上生垣。
同上船板塀。
こちらは前者に次ぐ巨邸群で浜寺昭和町最初期開発の地域。
同上。
同上。
同上。
同上。
駅前に近い家は売り物件になっている。
この建物の価値の分かる方、いかがですか?
お電話はこちらまで。(2012年8月撮影)
画一的な大阪式数寄屋邸宅の街並み。昔の阪神間もこんなだった筈であるがもはや面影は殆ど無い。
同上船板塀と石垣のアップ。石の形状に合わせて船板が整形されているのがわかる。
今出来の家では期待できない見事な仕事。
洋館応接室敷設の数寄屋邸宅。
こちらは雁首型の洋館。
南海電車車窓から見える高層洋館。
恐らく横に和館が付属していたのだろうが駐車場になっていた。
古い教会
同上門。
洋館。
ロマネスク調の洋館。規模はかなりだが、出来はいまいち。
洋館
同上。
洋館の塀
洋館の塀
近代建築好きなら大抵知っている有名物件。ヴォーリズの代表作の一つ。洋館がいまいちな浜寺では異色の見事な出来。
やはり洋館は外人にやらせないと田舎臭くてダメなことがよく判る。
数寄屋の街並みでは浮いた新築に近い御影石張りゴシック(?)豪邸。余程酷い建築家に設計させたのか、尖塔アーチに古典系の軒蛇腹では完全に水と油でこれでは擬洋風建築だろう。非常に金が掛かっているのが判るが、先のヴォーリズ建築と比べると出来は歴然に厳しい。
浜寺公園
松が凄い!!!
歩道橋の上から見るとその広大さが判る。手前の事務所?も昭和初期築の近代建築。
浜寺公園隣接の数寄屋二階窓。
彼らがいかに光を欲していたかが判るだろう。