
住吉の街並み
近世ー近代(17-20世紀)
大阪で最も重要な寺社といえば四天王寺と住吉大社が挙げられる。この2つはいずれも古代-近世の首都である奈良・京都の外港・大阪湾を祀る海の寺社としての性格を有している。
千年以上の歴史を誇る住吉大社界隈は歴史的には、近世-今日の大阪都心である船場や島之内をはるかに凌ぐ旧市街だけあって見ごたえ有る街並みが見られる。
界隈を構成する古建築は
1.寺社建築
2.農家建築
3.町家建築
4.近代住宅建築
である。
寺社建築は摂津国一宮たる住吉大社の影響力が圧倒的である。
農家建築は塀にツシ二階虫籠窓の主屋を有する。つまり他の京阪郊外同様、武家邸宅ではなく近世町家建築の意匠に強い影響を受けている。
町家建築のファサードはツシ二階虫籠窓大壁大阪出格子の大阪・船場界隈の町家意匠に従属している。平面プランは外部からは判らないが、京阪都心の町家ではなく田の字型の農家の間取りを継承している可能性は高いだろう。
近代住宅建築は阪神間や北摂同様、洋館の付属する豪奢な数寄屋建築で、帝塚山ー浜寺に至る高級住宅街ラインの域内にあると言える。
総じてこの街は典型的な大阪近郊旧市街のなのだろう。

住吉大社摂社大海神社。

大海神社拝殿。

拝殿内部意匠。かつて大阪湾海岸に面した建築だけあって開放的な独特の造作。

茅葺の拝殿後ろに見えるのが国重文・大海神社本殿。宝永五年(1708)造営で住吉造社殿としては、国宝・住吉大社本殿より古い。

大海神社塀。コンクリート塀とはいえ恐らく戦前の重厚壮麗なものである。

神社以外にも付近には立派な近世寺院が多数ある。

ツシ二階虫籠窓大壁ファサードが極めて大阪都心町家の影響が濃厚な農家建築。他の畿内農家同様、この付近の農民達は明らかに平屋の武家・豪農屋敷よりも、建前上は身分の低い町人の町家建築へ憧憬を抱いていたことを示している。
かつては高塀に囲まれていたのだろうが塀が撤去されている。

同上。

同じく町家風農家。土塀が廃され石塀となっている。

同上。

土蔵は一階屋根付きの純農家風。

かつては茅葺であった江戸期竣工の農家建築。

この家は油屋として財を成したらしい。油の見本が展示されている。

天保11年(1840)築の油屋土蔵。

土蔵前に設置された石造大黒座像。

同上。近代築の煉瓦防火壁に守られている。

住吉は摂州だが、これは
泉州/紀州色の強いのっぺりとした印象の表長屋。

大阪市内によくある豪華な瓦葺漆喰壁塀付きの長屋。畿内の富の蓄積が中流層にまで現れた例証で、長屋が貧民小屋に過ぎなかった江戸などの関東ではまずありえないものである。

近世には住吉大社領の庄屋を務めた、明治築の柚子味噌屋、池田屋 。農民が商人へと成り上がったのである。
住吉の豪家のある種のパターンが見て取れる。

同上。

同上。看板が渋い。多分著名な画家/書家によるものだろう。

鎌倉時代末期に住吉大社への献灯として建てられた日本最古の灯台、住吉高灯篭のミニチュアが掲げられている。街のシンボルなのだろう。

住吉高灯篭。空襲で破壊されたため、昭和49年の再建。

大阪都心町家意匠の影響が極めて濃厚な豪商建築。

同上。

船場などの都心では姿を消した大阪の仕舞屋特有の大阪出格子。

同上。断面はやはり農家っぽい。

銅板張の近代町家。

立派な町家。酒屋である。

本瓦葺でこの建ちの低いツシ二階からして近世の町家だろう。

農家風近代数寄屋邸宅。

同上。この種の農家風邸宅は帝塚山界隈一帯に散見される。

同上。煉瓦塀が見事。

これぞ典型的な関西の近代住宅建築というべき普遍的な洋館付属数寄屋豪邸。阪神間でもこのクラスの規模の豪邸はもう余り残っておらず貴重。

手入れが悪いのが惜しい。

同上。

細部まで豪華かつ凝った意匠。

数寄屋豪邸隣の平屋。

また現れた高灯篭。高灯篭はかつては港町住吉の圧倒的なシンボルだったのだろう。

同上。

みちしるべ。住吉は攝津国・大阪と和泉国・堺の間に位置する街である。