- 島之内・南船場の土蔵建築群[ 2012-01-16 00:55 ]
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2012年 01月 16日
![]() 竣工年:近代以前 島之内・南船場は1945年の大阪大空襲によって完全に壊滅した。かつて存在したという閑静な商家街や花街の面影はどこにも無い。 しかし時折路地裏やビルの谷間から亡霊のように過去の残滓が立ち尽くしている。67年前、焼夷弾の猛火から商家の家財を守った壁厚40cmの防火建築・土蔵である。土蔵の歴史は古く中世にさかのぼるが、近世の大阪ほどその存在を際立たせた場所は無い。天下の台所の富の源泉は全国諸大名が中之島周辺に建造した土蔵造りの諸藩蔵屋敷だったのである。一方商家は三ッ蔵、五ッ蔵とその富の象徴として土蔵を建造した。大阪商人の土蔵への偏愛は近代に入っても止まなかったことは彼らの近代郊外住宅である阪神間や北摂、帝塚山、浜寺の古い屋敷の舟板塀から覗く巨大な土蔵に現れている。しかしより象徴的なのは大阪市立美術館(1936)だろう。軒蛇腹のデザインからこの記念碑的建造物が土蔵を模した意匠であることは明白である。 土蔵は無論ただのシンボルではなく、鉄筋コンクリート工法普及以前に地震・火災から家財を守るほとんど唯一の耐震防火建築であった。実際、土蔵以外の選択肢は無かったことが、関東大震災以降急速に江戸発祥の土蔵造り町家が京阪地方を含む全国に普及した理由である。石積み、あるいは煉瓦積みの明治期洋館は火には強いが、地震には耐えられず倒壊する。(煉瓦同士をボルトで固定した中之島図書館(1904)のような例外はあるが)そして大阪が焦土と化した第二次世界大戦の空爆が残忍な形で土蔵の耐火性能を証明したのだった。徹底した空爆はそこに住む者の富を、生活を、文化を、言語を、生命を、人間の記憶を、何もかも焼き尽くした。 今日一見全てが不毛で絶滅したかに見えるが、しかし土蔵だけが残存しているのである。かつて商人たちの誇りであった土蔵だけが。 ![]() 古写真を見れば1945年までの船場・島之内・上町・天満・西船場・堀江といった大阪中心街はだいたいこのような風景であったことが判る。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() < 前のページ次のページ >
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