児島嘉助邸(現 吉兆高麗橋本店)
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竣工年: 昭和12年(1937)
設計施工: 平田雅哉
間口7間、奥行20間、表屋造りの数奇屋風町家。著名な茶道具商、児島嘉助の店舗兼本邸として建てられた。
児島の店には藤田伝三郎や住友吉左衞門らトップクラスの数寄者が訪れた。高麗橋通、伏見町通はミナミの八幡筋と並ぶ茶道具商の集積地である。彼らの信用は極めて高く、単に茶道具の売買にとどまらず、得意先の蔵の鍵を預かり家宝の管理を一任されていた。
施工は大阪の棟梁で、数奇屋造りの第一人者、平田雅哉。10ヶ月の期間が費やされた。
施主の児島は当時改悪された建築法規に違反する純木造の町家を建てさせようとしたのだが、児島がクビにした前の大工によって大阪府に密告され、やむ終えず一部RC造となったらしい。しかし外観は典型的な表屋造りの大店建築となっている。
戦後児島嘉助の顧客でもあった懐石料理の湯木貞一が買収し吉兆高麗橋本店として現在に至っている。湯木は従来、有閑数奇者が個人的に茶室で供した茶懐石を初めて商業ベースに乗せて成功し、日本料理界を代表する人物にのしあがった。彼の収集した茶道具は近くの湯木美術館で展示されている。
内装は平田自身によって戦後、料理屋向けに改装されている。室内には能舞台まであるというが、一見お断わりの料亭なので紹介者がいないと入店できない。
高麗橋本店では今日に至るまで当主と従業員が店で暮らす船場商家の伝統を継承しているという。