源光寺(大阪市北区豊崎)
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源光寺
設計施工:不詳
竣工年:文久元年(1861)
奇跡的に空襲や乱開発から免れた梅田都心近くの大規模寺院建築。
聖武天皇の命により行基によって天平十九年(747)に開山。その後荒廃し、承元三年(1209)に浄土宗宗祖法然によって復興。現在に至る。現在の堂宇は幕末の文久元年(1861)造。
仕事帰りにぶらぶらしていてたまたま見つけた古建築。
現在はビル街になってしまっているが建造当時の幕末にはこの辺りは梅田(埋田)と連続する、田園と火葬場と墓場が広がる風景であった。
源光寺周辺の古称、「浜」は梅田、葭原、蒲生、小橋(おばせ)、飛田、千日と並ぶ近世大坂七墓の一つである。
1861年築の本堂大屋根。
本堂正面。
同上。
庫裏
庫裏アップ。
重厚な意匠が非常に大阪的。
天保年間の阿弥陀仏塔
井戸
正門
石灯籠。施主が女600人というのが凄い。
鐘
塀は煉瓦製。近代の物であろう。
同上。非常に古格があり素晴らしい。
同上。
源光寺隣の近代町家。この辺りは奇跡的に空襲を免れたようだ。
源光寺向かいのコンクリート打ちっぱなしビルの案内板。
何と安藤忠雄の建築事務所であった。ヨーロッパの親戚も向こうでも滅茶苦茶有名と言っていたので正真正銘世界的建築家の一人である。こんな身近な所に本拠地があるのは意外であった。
多くの安藤設計商業建築同様、テナント募集中である(笑)
昔勤務先が安藤設計のビルに入っていたのだが、壁が結露を起こしてカビが生えてかなわなかったとのこと。施主に裁判で訴えられたミース・ファン・デル・ローエなどと同様、デザイン優先で内部環境などどうでもいいのだろう。公共建築向けの建築家である。
ファサード。
同上。
源光寺と安藤建築。
近所の安藤っぽいビル。
同上エントランス。
近所の庄屋建築。
彼らがかつて所有していたであろう、この辺りの土地は単なる田園だったのだが、今日の土地価格は天文学的数字になっているはずである。
同上。洋館付属である。
同上。
横の庄屋屋敷。
同上。
天理教教会。
工場を改造したと思われるブティック。