渡辺久良左衛門源忠綱邸
|
竣工年:16世紀末-17世紀初頭ごろ
「大阪」というよりむしろ、摂津国の巨大な武家-豪農建築の雰囲気が濃厚な、大阪市淀川区西三国に残る市内最古の住宅建築。
竣工年の16世紀末-17世紀初頭といえばヨーロッパではルネサンス-バロック期、中国では明王朝末期に相当し個人の邸宅としては世界的に見ても希少な文化遺産だ。しかし現所有者が相続税が払えず、間もなく破壊されるのだという。何でも文化財に指定したはずの府は買収に必要な5億円が払えないなどとでたらめを言って破壊には傍観の構え、市は474億円かけて周辺でしょうもない都市整備をやるそうだ。
このようなうすのろ野郎、裏切り者のうそつきどもを目にするといかにこの国が腐ってゆくかがよく判る
今日ではJR東海道線は都市間の旅客輸送主体だが、戦前の官営鉄道にとって旅客輸送などどうでもよいおまけに過ぎなかった。富国強兵の国家政策の元、工業、軍事物資輸送が最重要目的たっだのである。阪急や近鉄などの大手私鉄の線路が基本的に一方向一線路なのに対してJRがやたら何本も線路を有しているのはこの貨物輸送のためのものだ。この貨物用の複線が国鉄分割民営化後旅客輸送急行用の線路に転用され、私鉄とのスピード競争、旅客獲得競争に勝利する要因となった。
しかし整備当時には帝国鉄道省の民営化だの、私鉄との競争だの、旅客輸送による利益確保だの、全く思いもよらなかっただろう。
推古天皇の時代(6-7世紀)、長柄橋架橋を祈願すべく人柱を志願し入水自殺した地元の長者、巌氏を奉る記念碑。
このおぞましい蛮行、人柱の冥福を祈るために推古天皇が建立したのが大願寺である。
仏教を国教化したこの時代らしく、神社ではなく寺院である。
境内には鳥居もある。神仏習合。
近代以降、市街化により膨れ上がった富を反映した立派な豪農建築が目立つ。
白いテントで覆われており解体を待つ。
(2012年10月7日撮影)
当然である。
郷土を愛する者ならば誰もがその地域の最も偉大だった時代の記念碑的建造物を誇りに思うだろう。
三国には渡辺家に匹敵する壮麗な歴史的建造物は存在せず、エジプト人にとってのピラミッド、中国人にとっての万里の長城、ギリシャ人にとってのパルテノン神殿、イギリス人にとってのヴィクトリア朝公共建造物、アメリカ人にとってのリンカーン神殿、フィンランド人にとってのアアルト建築と同じ意味を持ちえる。
こうした記念碑的建造物を破壊することは最大の犯罪行為に等しい。
英国のマナーハウスばりの壮大な邸宅。
最も責任の重い者達は概して破壊には直接手を下さず、綺麗なオフィスでデスクワークにいそしんでいるのだろう。
反対署名も受け付けていた。
小作人の反乱に備えているのか、大抵庄屋屋敷は固まって立地している。