上本町の民家
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竣工年:<主屋>1700年以前か?<納屋蔵>慶長19年(1614)以前
設計施工:不詳
虫籠窓に大阪出格子を有し塀や門が無く直接通りに面した町家風の巨大な古民家。
今でこそ都心に位置するが、近世以来の商業地からは少し外れている。また屋根や土蔵の形状は大阪都心の町家とは異なっている。間取りも京阪都心の町家で特徴的な通り庭(=土間)に沿った縦一直線並びではなく、農家で見られる田字型に近いらしい。
古くは木綿問屋であったというが、幕末に島之内清水町の造り酒屋(※)が買収し、その分家が質屋や茶道家元を営んできたとのこと。
築300年以上といわれているからこの建物は存在自体奇跡である。特に納屋蔵は大阪夏の陣で焼け残ったものらしい。大阪都心の民家では、もはや最古のものだろう。しかし日本の都市では文化財建造物の保全がほとんど機能していないため、国重文に指定されない限り近い将来破壊される可能性が高い。
ちなみに東京の旧市街における最古の町家建築は山口家(港区、1882年頃築)であったが近年マンション建設のために破壊された。
※大阪都心にはかつて造り酒屋が複数存在した。今日最も有名なものが近世屈指の豪商、米屋(殿村)平右衛門家の分家、船場平野町の沢の鶴こと米屋喜兵衛である。米喜は現在、神戸市灘区へ移転した。しかし近世には大阪と同規模の都市であった京都ではいまだに洛中で現役の酒蔵が残る。
どうもこの辺の町家の形状は船場や天満のものとはかなり異質な印象が濃い。