
鴻池新田会所
竣工年:主屋/宝永4年(1707) 表長屋門/明治41年(1908) 裏長屋門/安政5年(1858) 文書蔵/天明6年(1786) 米蔵/享和2年(1802) 道具蔵/天保15年(1844) 乾蔵/天保15年(1844) 支配人居宅/嘉永6年(1853)以前 火の見小屋/明治14年(1881)
設計施工:主屋座敷棟<宝暦9年(1759)>/大工棟梁・下村七右衛門、他
宝永4年(1707)、大阪・今橋の豪商、
鴻池善右衛門家が開発した新田の会所が旧鴻池新田内に残されている。この会所の役割とは
・小作人からの小作料、肥料代の徴収、収納
・新田内のインフラ管理
・幕府への年貢上納
・幕府代官の接待
・宗門改帳(=戸籍)の作成、管理
・老人への米(年金)の配給
・幕府、鴻池家からの指示伝達
・新田内の裁判
・村民の娯楽、浄瑠璃、俄狂言などの披露
などであった。
鴻池家の別荘としても使用されたようだ。しかし業務空間での奢侈を嫌う家風から、茶室設置案は度々却下され結局茶室が設けられることはなかった。これは同じく船場豪商による会所建築である、
加賀屋新田会所(1745)の印象と著しい相違を成している。主屋の座敷棟部分はは内部、外部ともに数奇屋建築といえるのだろう。しかしその装飾的要素は過度に抑制された。華やかな郊外の数奇屋ではなく、あの冷たい威厳のある大阪市中の豪商町家の内部意匠を連想させる。

大阪好みのむくり屋根を持つ黒漆喰塗りの威厳ある表長屋門。
明治41年(1908)築なので近代建築である。

鴻池善右衛門家の商標、山上紋。
山は大阪の両替商がよく用いた紋で、同じく大阪両替商起源の野村證券は今も
山を社章としている。

こちらは安政5年(1858)竣工の裏長屋門。かつては直接運河に通じておりここから大阪市場へ作物(主に米と河内木綿)が搬出された。

裏長屋門に面した運河は埋め立てられているが、御影石のがんき(船着場)が残る。

戦後まで新田の運河で使用されていたという、小型物資運搬船、井路川船。

会所内部から見た裏長屋門。表長屋門とは異なり元来茅葺であった。

主屋南正面外観。

主屋南正面前の長い松。

主屋北面外観。河内の豪農建築によく見られる複雑な入母屋屋根。

主屋西面外観。

主屋東面外観。他の面が重厚な豪農建築風であるのに対して、この面の外観のみが軽快な瓦銅板葺きで数奇屋の座敷棟がある。

80畳の巨大な主屋土間(ニワ)。右の畳間は手前が新田会計を担った勘定場、奥が食堂である上台所である。畳間と土間の間の板間は下台所。

災害、不作の際農民のための炊き出しが行われたへっついさん(竈)。

台所。

井戸。

樹齢400年の黒松が用いられた見事な梁。

巨大な煙り出し口。

新田の支配中枢である勘定場。

同上。

勘定場より土間を望む。

襖を取り去れば大広間となる。

玄関の間。

開放的な座敷間、次の間。

会所で最も格式の高い座敷間。

豪商・鴻池好みの大阪色の強い重厚で素っ気無い座敷飾り。
本当の金持ちはごちゃごちゃした細工は好まないものである。

床脇の材木が黒光りしている。
これがもし京都圏であればより繊細で軽い感じに仕上げるだろう。
近畿圏外であれば変則的で崩れた装飾になる。

美しい大阪欄間。

数奇屋風欄間。

同上。

縁側より庭を望む。

幕末に整備された池泉観賞式庭園。
かつては生駒山を借景にしていたのだが、現状はマンションしか見えない。

会所では裁判も行われていた。

ここが旧御白州。復元してほしい。

年貢米が収納されていたと言う巨大な米蔵。

同上。

並列巨大土蔵群。右から文書蔵、米蔵、乾蔵。

米蔵内部。

一見ハーフティンバーのような木は米俵の荷ずれを防ぐための荷摺木だという。

ガンジーがインド独立のプロパガンダに使っていたような糸車。これは日本製である。
近世河内は綿作が盛んだったが、近代に入り中国の綿花が流入、壊滅した。結果、収入を絶たれた多くの河内木綿農家の娘が売春婦として大阪の遊郭に売り飛ばされた。

鴻池家から指名された新田支配人が住んだ居宅。

新田の創始者、第3代鴻池善右衛門宗利が祀られた朝日社。

同上。ここは現在も鴻池家の所有地であるので非公開。

会所ではなく遠く離れた大阪・今橋の鴻池本家を火災から守るために小作人が輪番で詰めていたという火の見小屋。
鴻池新田から淀屋橋まで今日の電車で行っても30分かかる。天保8年(1837)鴻池本家は大塩平八郎によって実際焼き討ちになっているが、小作人が駆けつけたとしても着いた頃にはすでに本家は丸焼けになっていたに違いない。
要するに実質的に意味を持たないのだが、主家と奉公人という封建主義的な思想から設置されたのだろう。
<会所周辺>

鴻池新田会所に隣接するショッピングセンター。ここも鴻池男爵家の所有ビルである。
マッカーサーの農地改革により、新田内の農地は没収されたが、商業地・住宅地は今日に至るまで鴻池家の資産会社が保有している。

鴻池家の象徴、鶴の看板がある。

旧鴻池銀行新田支店の後継、三菱東京UFJ銀行鴻池新田支店。特別な地縁があるせいかこのクラスの地域の支店にしては異様に大きい。

同上。

至るところに鴻池家の所有地があるようだ。

かっこいい半円アーチのあるアーケード。

開いている店はゼロだった。

渋い近代邸宅建築。